ありふれた毎日

家族はアラカンの夫と私
2022年に結婚した娘
スープの冷めないところに暮らす息子
トイプードルのサクラ(15歳)
旅行が好き♡
60代は「旅すると暮らすの間の旅」が夢の形に
次はどこでひとり旅×暮らしをしようかな

カテゴリ: 家族のこと

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風が強かったのでしょうか、朝さんぽのとき、ツバキの花がたくさん落ちていました。

今年は桜の開花が早いので、ツバキも慌てて散ってしまったかな( *´艸`)



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落ち椿と呼ぶのでしょうか、花が丸ごと落ちるので、その姿もキレイですね。




京都だけでもこんなにたくさんのツバキの名所があるそうです。

若い頃はほとんど興味がなかった花ですが、大きいおとなになってから好きになった花。

いつかツバキ鑑賞に行ってみたい、してみたいことのひとつです。

+

母が亡くなってから「運命」について考える時間がありました。

人は自分の運命を知りえることができないじゃないですか。

どんな出会いがあるだろうとか

どんな人と結婚するんだろうとか

将来はどこで暮らしているだろうとか

どんな仕事をしているだろうとか

究極は・・・何歳まで生きるだろう

普通ならわからないことがわかってしまうのが余命通告。

え、あと3ヶ月? あと半年? あと1年後に自分はこの世からいなくなるの? 

運命なんていたずらにわからない方がいい。

わからないから恐れることなく、あきらめることなく、絶望することなく、のほほんと生きてこられた。

母が亡くなる1ヶ月前には旅行をしていました。

旅行先のホテルで深夜にワールドカップを観たり、美味しい料理を食べて喜んだり

1ヶ月後に死ぬことがわかっていたら、私達はあんなに自然に笑って過ごすことなどできただろうか。

それとも「死ぬまでにしておきたいこと」を躍起になって実行するパターンもあるかな。映画のように。



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母の場合は、中皮腫と診断されてから半年~1年の余命と主治医から聞いていました。

桜が咲くころか…と弟がつぶやきました。

かーかー(お母さん)、今年も桜が咲き始めたよ。

今年の桜を一緒に見られたとて、母がもっと長生きできたわけではないならもう未練はない。

いつかは終わらないといけない人生。

桜の一生にも人の一生にも必ず終わりがあるのなら、母の散り方はとても穏やかだったのではないかな。

強風に吹かれることもなく、雨に打たれることもなく

愛する人に見守られながら少しずつ少しずつ花びらが舞っていき

私達は母と言う桜の木の下にいたのに、少し目を反らした瞬間に最後の1枚の花びらが散っていました。



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そんなことを思いながら、少しずつ満開に近づいていく桜の下を、私は毎朝、毎昼、毎夕

サクラと一緒に散歩しています。

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昨日は夫のお誕生会をしました。

コロナ禍になるより以前、夫と2度行ったことのある「鉄板市場」さんが夫のリクエスト。



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数席のカウンターと4人掛けテーブルが2つのこじんまりした店内です。



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以前、コスパ抜群のランチと、夜の居酒屋使いでおじゃましたことがありました。

今回はお誕生会ということで、4種類のコースの中から一番量の少ない恵みコースにして

一品料理を追加することにしました。



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娘と君が沖縄で購入してきてくれたネクタイをプレゼントしてくれました。

よく見ると空手の形のプリントなんです。沖縄と言えば琉球空手ですからね。

大会物販のときにぴったり👍

その場でネクタイを絞めたので服と合っていませんが^^;

そうそう、夫からは娘にホワイトデーのプレゼントを。

そんなことをしているとお料理が運ばれてきました。



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恵みコースはお刺身の盛り合わせでスタート。



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温かい煮物でほっこり。和食レストラン?と思いそうですが、鉄板焼き屋です。



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アワビはお刺身かステーキか選べましたが、4人ともステーキに。

柔らかく、バター醤油の味つけも👍



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サラダで印象的だったのはグリルしたコーンと生の茄子。



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お肉はサーロインかフィレで選べます。
ワサビと岩塩とガーリックとお醤油で、色んな食べ方を楽しみました。



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最後は梅のお茶漬け。



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追加は君が選んでくれた和牛イチボタタキ。イチボって初めていただきました。

牛のお尻の部分のお肉で、人間に例えるとお尻のえくぼの部分に当たる希少部位だそうです。



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フォンダンショコラのアイスクリーム添えをいただいてお開きに。

今年もこんなふうに家族でお誕生日をお祝いできて幸せでした。

昨年の夫の誕生日会から今年の夫の誕生日会までいろんなことがありました。

母との同居。そして母を亡くし、家ではサクラが待っている♪ そんなふうに私達の暮らしは少し形を変えましたが

こうやってみんなに祝ってもらいながら、ひとつひとつ歳を重ねていけることに感謝です♡

今朝方、いつもなら熟睡しているはずのサクラが起きてウロウロしている。

まだ部屋の中が暗いので、襖にぶつかる音で目が覚めた。

私の掛け布団をめくってあげると、いつものように潜り込んできたけど

普段と違うことをするときは何か体調の変化があるのかも。

朝と昼の散歩では、オシッコもうんちも快調。

でも朝ごはんを一口も食べずに午前中はずっと寝ていた。

そんな日でも散歩には行きたがるので出かけ、急な坂道を登れば近道なので抱っこして登っていると

サクラのお腹がキュルキュル鳴ってる音が聞こえた。

大きな音だったので初め耳を疑ったけど、家に帰って足の裏を拭いている時もキュルキュル。

お腹が不調だったのかも。

むしろ朝昼のうんちが正常だったのがラッキー。

こんな日に限って私は弟と一緒に大阪の実家近くの司法書士事務所へ行かないといけなかった。

先生とお約束しているので、日にちを変えるわけにいかない。

夕方の散歩は夫にお願いし、念の為のオムツを履かせてサクラが寝ている隙に出かけた。



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諸々の書類と実印を押して実家の名義変更の手続きは完了。

そのあと実家へ回り、冷蔵庫の中は空にして電源を切った。

消費期限内の調味料などは弟に持って帰ってもらい、私はサクラのドッグフードなどを持って帰る。

金庫の中の貴重品も引き上げ、弟はお隣の家に挨拶に行ってくれたけどお留守のよう。

たぶん察してくださっていると思う。

色々整理したいものは山積みだけど、時間大丈夫?と弟に聞いたら

時間はあるけど(さっき冷凍庫から引き上げた)アイスクリームが気になってるだけで…と言われて

そやね!キリないから今日はここまでにしようと、ゴミ袋を2袋持ってそそくさと実家を後にした。



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「次は初盆と、仏壇仕舞いやね。またなんかあったら連絡して。姉ちゃん、色々気がつかへんから。」

と言って弟と分かれ、最寄りの駅へ行くと早咲きの桜が満開。

いつも私が帰る時、母とサクラが駅まで送ってくれた。

部屋で片付けをしている時は思い出に浸らないようにしていたのに

駅に来て初めて此処に母がいないことを実感した。

だけどもう泣かずに受け止められるような気がする。

桜も咲いているし、もうしんみりする季節は卒業した。

今日は母の四十九日の法要でした。

もとの家族4人で電車に乗って一緒に出かけたのは何年ぶりだろう⁈というくらい久しぶり。

出かける前にスマホの充電をしていたら、スマホを忘れて出かけてしまいました。

家業の手伝い以外の仕事をしていない私にとって、緊急連絡の中で一番重要なのは家族からの連絡。

今日は身内で集まっているのでその心配はないからスマホがなくても大丈夫か…と、取りに戻らずに出かけました。


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家族以外からの緊急連絡…と言えば

昨晩、私の弟の友達のアカウントから弟がラインをしてきました。

弟に何か緊急事態が起きたときのために私の連絡先を知らせている親友のひとりです。

お互いに「よろしくお願いします」的な挨拶とスタンプを交わしましたが

ちょっと待って! 

そのT君からラインが届くと言うことは、私にとって歓迎できない、喜ばしくない、悲愴な状況なんだよね。

弟の友達もこう言ったそうです。

「俺からラインが届いたら、姉ちゃんドキッとするやろなぁ」

はい、その通りでございます(^^;

ハッピーな緊急連絡以外は、できれば受け取りたくないです。



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今日の画像がなかったので、昨日娘が撮ってくれたパステルなサクラさんを。

なぜか私がお風呂に入っている間に粗相をすることが2回も続くと

これは知能犯の仕業かな?と思ってしまうのです。

赤ちゃん返りしているように見えるサクラの寝姿を見ていると怒れません。

ついでに言うと、おむつをさせられることを全く嫌がらないのです。

もっと嫌がるかなと心配したのですが、「可愛いねー!」とおだてるからなのか

まるで気に入っているかのようです。



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香りの気配



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今日も変化のない平和な一日。

こんな日はやっぱりつぶやいて終わるかな。。

+

母の骨壺と遺影。話しかけるときは遺影の方に向かって話しかけている。

骨壺に手を当てても母のぬくもりは感じられない。形が変わってしまうとそんなもんかしらね。

遺影の母はふくよかで、ほんわりした笑みをたたえている。

「遺影はこれにして」と本人が決めていたので、母が好きな自分の顔だったのかな。

太っていたせいもあってか、あたたかくて大らかなお母さんだったなぁと思う。

+

母が亡くなって得られたものがひとつだけあるとしたら、母を心配しなくて良くなったこと。

2、3日連絡がなかったら気になり、地震が起きれば咄嗟に気になり、暑い日寒い日が続けば気になり、

雨の日が続けば気になり、バスに乗って買い物に行くと聞けば気になり…

そんな日々はもう終わったんだということ。

その代わり、自分のことを心配してくれる人の存在も失った。

親に心配をかけたくないという言葉はよく耳にするけど、子の心理は複雑。

心配かけたくないのは本心だけど、本心の裏側にある「親に心配してもらいたい気持ち」も隠せなかったりする。

これは親依存の強い子の場合かな。知らんけど。

+

「知らんけど」で思い出した。

「知らんけど」は「よう知らんけど」の略だけど、最初に「よう知らんけど…」と断って話し始めるのと違って

さんざん語っておきながら最後に「知らんけど」で緩めとくのは

自分の発言にちょっと自信が持てなくなったときによくやる手法ね(^^;

 


「知らんけど」って、昨年の新語・流行語大賞にノミネートされていた。

でもこれ、関西弁? それを調べようと思って読んだ上のサイトが興味深かった。

中でも⇓の説明がおもしろい( *´艸`)

「関西人どうしですと、ボケやツッコミのような会話でも寸止めや受け身が身につき、日常的にやり合っていますから、その呼吸が分かります。これはストリートファイトみたいなのもので、子どものときからずっと訓練してきているからできるものです。関西人どうしの中で使うのは全く問題がありませんが、よその地域の方には通用しないことがあるため、コミュニケーションの事故になってしまう可能性もありますよ」

ハハハ、寸止めや受け身って、武道か⁈

関西人どうしは子どもの頃から常に会話の中でストリートファイトしているらしい。そりゃ鍛えられるわね。

+

方言が好きなのは、下手な標準語で話す時と別人になれるところ。

心の中でつぶやくときは関西弁。

私が真剣に関西弁でつぶやきブログを書いたら、ですます調で気取って書いていたのと比べると

別人が書いたようになってしまうから、まだちょっとネジを緩めんとくわね。

え、すでに緩みかかってる⁇

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日本列島が冷え込んだ一日でしたね。

サクラにも服を着せて、覚悟して元気に外に飛び出しました。



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道路一面が雪に覆われ、というふうではなく、この辺りは写真の程度でしたが



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雪が残っているところに鼻先をクンクンと近づけ、寒くても朝昼夕と散歩に勤しむサクラさんでした。



母が亡くなって2週間が過ぎました。

そんなに経ったような気がしないようでもあり、母がこの部屋にいたのがずいぶん前のことのようでもあり

何だか不思議な感覚です。

母の遺影に向かって手を合わせて話しかけることもあれば

サクラの散歩に行ってくるねーとか、今日はめちゃくちゃ寒いわぁとか

母がそこにいるように話しかけることもあります。

やっと泣かずに話しかけられるようになりました。

夫は、母が大阪の自宅にいるような気がすると言います。

私はやはり最後の3ヶ月=母がしんどくなってからの3ヶ月の印象が強かったはずなのに

数日前、この3ヶ月のことがはっきり思い出せなくてとても焦りました。

もしかしたら、辛かった3ヶ月のことを私の中の無意識が忘れようとしているのかもしれない?

この先、どんな姿の母が一番私の記憶に残っていくのかが楽しみでもあります。

実家に遊びに行ったとき、近くの公園で待ってくれていた姿

実家の居間でテレビを見ている姿

実家の台所にいるときの姿

サクラと一緒に駅まで送ってくれるときの姿

体を横に揺らしながら待ち合わせ場所にやって来るときの姿

車椅子に座ってサクラのリードを持っていた母の姿は、この先私の記憶の何枚目のページに現れるでしょうか。

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弟とポチコが帰って行きました。

7泊8日もうちにいたのは初めてだったので寂しくなりました。

玄関まで見送るだけで… 色々ありがとうねと言うだけで涙が出ます( ;  ; )

昨晩は18時頃から23時頃まで食べて飲んでいました。

ここに来てから毎日2日酔いや…と言いながら、毎晩話しているのによくも思い出話が尽きないなぁと感心します。

母との同居に関して夫には本当に感謝しています。

顔を合わすのは、行ってきます、行ってらっしゃい

帰りましたー、お帰りなさいの挨拶を交わすときくらいの2人でしたが

それだからこそ同居に無理がなかったのかもしれません。

年末に夫が風邪をひいたとき、母と私が洗面所にいて、夫が玄関から「行って来ます」と言ったとき

「無理せんように」と母が応え、本当の親子みたいになってきたなぁと微笑ましく感じたのでした。

夫は常に母とサクラにとって一番良い形を提案してくれていました。

そんな親切な夫でも敵わないことは、子ども時代の思い出を共有すること。

同じ親に育った2人だからこその思い出話は姉弟だから出来ること。

つくづく弟がいて良かったなぁと思うのです。

後祀りのセッティングをしてお線香とローソクをつけると何となく格好がつきました。

母の腕時計、老眼鏡、指輪、自宅のカギ、スマホも並べます。

遺影に向かって、母に話しかけやすくなりました。

やっと家に帰ってきて落ち着いたねー

自然にぽろぽろと言葉が出てきます。

ついでに涙もぼろぼろと出てきますが、(泣くと血圧が上がって頭痛がするのに)

「あれ?頭が痛くない」と余計なことも思います(^^;

冷静に泣けるようになったということでしょうか(・・?

夫の仕事場へ行く時もいつものように、じゃあ行ってくるねー

と、そんなふうに今日から夫と私と母とサクラの新しい生活が始まりました。

夫と私の間に他の存在を挟んでいるのは子育て期以来かもしれません。

シニア世帯ですが、たまにはふたりと1匹で散歩に出かけたりしたいものです。

+

写真は、インド洋にある島国へ新婚旅行中の娘から送られてきた1枚。

母とサクラの写真を持って行っているので、母も一緒にこの景色を見ているかな。



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今日は娘の誕生日です。

君と一緒に素敵な島国で、天国のような景色を見ながら誕生日を迎えることができて最高の思い出になったね。

出発前は祖母のことで一生懸命尽くしてくれました。

そんな光景を見ながらも感じたのでしょうか、弟が「家族と過ごすのはいいものやと思った」と言いました。

弟には、「将来はルームシェアして暮らそうや」と言ってくれる友達がいるそうですが

「家族が懐かしくなったら、いつでもおいで」とお礼ラインを送りました。

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今日は13:30より告別式。

「来たよ」と、母の顔を見て声をかけました。

思い出の品や写真、このお正月に食べるつもりで母が選んで買っていた和菓子、毎日食べていたみかんとおせんべい

病院で「お茶が美味しいね」と何度も言っていた緑茶などを納棺し、きれいな花に囲まれていた母。

その間ずっと、母が好きでよく聞いていた歌を弟がスマホから流していました。

その後、火葬場へ移動。

今日は涙のない一日でした。

実は私、以前のブログにも書いたことがあるのですが、泣くと頭痛がする体質に変わってきていました(>_<)

母が息を引き取った直後、ひとりずつ母に対面した後の頭痛が一番ひどかったです。

たまたま場所が病院で、娘が看護師さんに私の状況を説明すると血圧を測ってくださり

血圧が尋常ではありませんでした。

ふー、いつからこんな体質に変わっていたんだろう。

一生泣けないということ?と弟に言うと

薬飲んでから泣け と言われました(^^;

母のことが落ち着いたら病院へ行くようにと家族から言われています。

そんなわけで、今日は泣かずに母を見送ろうと決めていました。

ここで頭痛が起きてしまうと、母の見送りに集中できなくなってしまうから。

いえ、母が「泣かないで」と言ってるのかな…とも思いました。

父が44歳で亡くなるときにはそう言われたんです。

お前たちが泣いてると思ったら、お父さんは安心してあっちに行けないと。

余談でした。

母を家に連れて帰り、怒涛の1週間だったねと言いながら夫と弟と3人で母を偲ぶ会。

午前中の間に、お刺身や母がお昼ごはんによく買っていた鉄火巻きなどを買っておきました。

おとなになってから弟とこんなに長く一緒に過ごしたのは初めてです。

明日から通常どおりの生活に戻り、弟とポチコが大阪の自宅に帰るので寂しくなります。

家族で過ごすのはイイもんやと思ったと、独身の弟が言いました。

明日は親友夫婦のお店(飲食店)にポチコと一緒に呼ばれていると言ってたっけ。

昨年は2人の友人を亡くし、年が明けて母を亡くし、弟も寂しかったんだろうと思います。

気の済むまで母のお骨を預かっておいてと言いましたが

引っ越し後なかなか片付けが終わらなく、あんな家に連れて帰ったらオカン発狂しよる

今日だけオカンと寝る---だそうです。


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母のお通夜でした。

今日から新婚旅行に出発する娘と君とスーツケースをピックアップし

サクラとポチコも同乗して出発。

2プードルズは車の中でお留守番ですが、母の近くにいさせてあげられたら母が喜んでくれるかなと思いました。

到着したとき、おくりびとの途中でした。

口紅の色と前髪の雰囲気を伝えるとき、娘がスマホに保存している母の写真を繰りながら

テキパキと説明してくれました。

前日に弟と一緒に打ち合わせた通り、お花はピンク系を中心に女性らしく華やかな雰囲気。

母の遺影は約10年前に釜山へ旅行した時のもの。

ホテルでシャワーを浴び、キレイすっきりでホテルの近くにあった食堂に行ったときに撮りました。

素顔の母ですが、ふっと気を抜いて自然で、母が自分で遺影に使うと決めていました。

娘が、母のおとも用にサクラに似たぬいぐるみを購入してくれていました。

ポチコの母性本能を動かしてしまったようで、舐めたり甘噛みしたり。

見かねた弟が同じものをポチ子の為に注文していました。

5枚の色紙に思い出の写真を貼って母の近くに飾りました。

納棺の時には母らしさが溢れる服を数枚と帽子、

サクラがついこの前まで着ていた服とポチコのトレードマークのバンダナ

あと4ケ寺を残してしまいましたが33ヶ所参りをしていた時のおいづるを一緒に入れてあげました。

母が喜んでくれているような気がします。

娘夫婦はひと足先に会場をあとにし、母のお通夜に参列できたので心置きなく新婚旅行に出発できました。

母のスマホからふたりに母になり変わってお礼ラインを送りました。

母が生きていたらこんなふうにラインするかなと想像して。

受け取った瞬間、娘はびっくりしたに違いありません😜

母の気取らない大阪弁のメールやラインが大好きでした。


昨日、主治医の先生からお電話があり、10:30より病理解剖に入りますとのこと。

よろしくお願いしますと言ったものの、その時間帯、「今頃解剖が始まっているな…」と一度頭をよぎったけど

成功も失敗もなく、生きるための手術と違えばこうも冷静で無感情なものなのかと感じました。

病理解剖が終了し、母に着せていただく服を手渡しにナースステーションへ上がりました。

用を済ませた娘も病院に来てくれて

霊安室で前日と同じようにお線香をあげ(主治医と看護師さんもあげてくださり)

寝台車で病院から葬儀場へ向かう母を見送りました。

母に向けて病院の関係者さんが皆さん深々と礼をして下さり、私達も自然と手を合わせてしまうのは

母は死んで仏になったんだな…と感じた瞬間でした。

その後、私と弟は母を追いかけるように葬儀場へ向かいました。

葬儀場は母が最後に過ごした私の地元と、母が長年過ごした母の地元と、2ヶ所でお話を伺って

母の地元で葬儀を行うことにしました。

母からは「あんた達の都合の良いところでやって。私は死んだら何もわからないんだから。」と

母らしいセリフを聞いていたのですが

弟には「此処(自宅の最寄り駅の近くにある葬儀場)がいいんじゃないか」と話していたそうです。

たぶんそちらの方が母の本音だったと思うし、その方が費用も抑えられたのでそうすることにしました。

贅沢を嫌う母から、自分の葬式は最小限でと頼まれていたので、お葬式に高額な費用をかけたら

「死んでからそんなお金をかけてくれるんなら、生きてる間に使ってほしかった」と

またまた母らしいセリフで怒られそうな気がしますから。

葬儀場に到着すると、母はすでに安置されていました。

母に着せていただいた服は、昨年の9月に好きなテレビショッピングで購入した母の好きな緑色の洋服。

「もうすぐ死ぬのにこんなもん買ってしまった」と母が言った言葉がすごく切なかったですが

天国まで着て行く服になったねと、今なら言えるようになりました。

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今日は久しぶりに普段の生活に近い1日でした。

ここ数日のように病院から緊急の電話がかかってこないかとひやひやすることもなく

スマホのボリュームを最大にして待ち受ける必要はなくなりました。

母との生活の中で張りつめていたことや、しないといけない数々のことや

縛られていたなにがしからは少しずつ解放されていくのでしょうが

完全に解放されたとき、私はきっと寂しさの渦に飲み込まれて泣くような気がします。

ほんまに寂しなるのは、まだ先やろな…という弟のつぶやきに強く共感するのです。

ふふ、11日の夜からは毎晩家でお通夜。

しんみりすることをお通夜みたいと表現しますが、母のことから色んなことに話が波及し

お酒を飲みながらにぎやかに過ごしています。


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