昨日、夫が姫路へ出発したあと、息子との雑談の延長で思いがけなくこんな話題になりました。
息子は5歳から中学2年まで空手をしていました。
全国大会にも出場しましたので、辛いこと、楽しいことの両方を味わいながらも
それなりに有意義な空手生活を体験してきたのだろうと思いたくなるところですが、ところがどっこい(笑)
当の本人は空手がイヤでイヤで、習い始めた年の冬にはすでにやめたかったそうです。
練習をがんばったら●●を食べに行こうと食べ物で釣ったり
当時息子が好きだったヒーローキャラクターから応援の手紙が届いたと嘘をついたり(^^;
その数年後には「闘いでお父さんに勝ったらやめてもいいか?」と自分から闘いを挑み
初めは負けている振りをしていた父親もそろそろというタイミングでコテンと息子を倒し
息子は負けた悔しさと空手をやめられない悲しさでワンワン泣いていたこととか
そしてその光景を「あんた達は笑って見ていた」と言われた時には、胸がチクリと痛みました(-_-;)
そんなひどい親だったのか… あのとき大嘘でも負ける振りをして
「あー お父さんの負け。よし!空手をやめても良い」と言う発想のかけらもありませんでした(^^;
+
物事には始める覚悟、やめる覚悟がいるとか、一度始めたことは容易くやめるなとか、やめ癖がつくとか、
やめたい理由をちゃんと述べよとか、いかにも言いそうな昭和の親に育てられた
2代目の昭和の親として、いろいろな思いもあってやめさせなかったのだろうとは思いますが
息子の指摘で私が一番鋭く突かれたのは
親はいろいろ理由を並べてたけど、続けさせたかったのではなく、やめさせたくなかったのだというところでした。
なんだか屁理屈のようにも聞こえますが、確かにそうだったかもしれないと思うのです。
続けさせるという前向きなプラス思考ではなく
ここでやめたらこうなってしまうという後ろ向きなマイナス思考が先に立っていたのかもしれません。
今ならそんなふうに思いません。長く続けることは素晴らしいことではあるけれど
嫌々続けてもなんの意味もありません。
息子が言うように、「心配しなくても本当に好きなことなら、おとなが止めても子どもは夢中になるし
途中でやめたりしない」。
+
親にとって子育てが終わってずいぶん経ったころに
「あのとき実はこうだった、ああだった」と話されるのは苦い思い出話です。ちくりと胸が痛みます。
経験値の少ない未熟な親が、その少ない経験をもとに子育てをするわけです。
子どもが親と似た価値観や個性の持ち主であれば弊害は少ないかもしれないけど
うちのように父親と息子が真逆のタイプだったり、親とは違う価値観を持つ子どもだったりすると
押し付けられた子どもは反発を感じるしかない。
反発できる子どもはまだ救われるけど、反発しようにもできなかった子どもは
その部分でもつれた糸が後々まで影響して糸を絡ませてしまう場合があるのかもしれない。
「こんな話をするのはこれで最後にする。」と言った息子は、最後にこんなことも言いました。
それが最悪なことに、そんな親が大好きやったところが、そこがまた僕のあかんとこやねんけどな。
息子は5歳から中学2年まで空手をしていました。
全国大会にも出場しましたので、辛いこと、楽しいことの両方を味わいながらも
それなりに有意義な空手生活を体験してきたのだろうと思いたくなるところですが、ところがどっこい(笑)
当の本人は空手がイヤでイヤで、習い始めた年の冬にはすでにやめたかったそうです。
練習をがんばったら●●を食べに行こうと食べ物で釣ったり
当時息子が好きだったヒーローキャラクターから応援の手紙が届いたと嘘をついたり(^^;
その数年後には「闘いでお父さんに勝ったらやめてもいいか?」と自分から闘いを挑み
初めは負けている振りをしていた父親もそろそろというタイミングでコテンと息子を倒し
息子は負けた悔しさと空手をやめられない悲しさでワンワン泣いていたこととか
そしてその光景を「あんた達は笑って見ていた」と言われた時には、胸がチクリと痛みました(-_-;)
そんなひどい親だったのか… あのとき大嘘でも負ける振りをして
「あー お父さんの負け。よし!空手をやめても良い」と言う発想のかけらもありませんでした(^^;
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物事には始める覚悟、やめる覚悟がいるとか、一度始めたことは容易くやめるなとか、やめ癖がつくとか、
やめたい理由をちゃんと述べよとか、いかにも言いそうな昭和の親に育てられた
2代目の昭和の親として、いろいろな思いもあってやめさせなかったのだろうとは思いますが
息子の指摘で私が一番鋭く突かれたのは
親はいろいろ理由を並べてたけど、続けさせたかったのではなく、やめさせたくなかったのだというところでした。
なんだか屁理屈のようにも聞こえますが、確かにそうだったかもしれないと思うのです。
続けさせるという前向きなプラス思考ではなく
ここでやめたらこうなってしまうという後ろ向きなマイナス思考が先に立っていたのかもしれません。
今ならそんなふうに思いません。長く続けることは素晴らしいことではあるけれど
嫌々続けてもなんの意味もありません。
息子が言うように、「心配しなくても本当に好きなことなら、おとなが止めても子どもは夢中になるし
途中でやめたりしない」。
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親にとって子育てが終わってずいぶん経ったころに
「あのとき実はこうだった、ああだった」と話されるのは苦い思い出話です。ちくりと胸が痛みます。
経験値の少ない未熟な親が、その少ない経験をもとに子育てをするわけです。
子どもが親と似た価値観や個性の持ち主であれば弊害は少ないかもしれないけど
うちのように父親と息子が真逆のタイプだったり、親とは違う価値観を持つ子どもだったりすると
押し付けられた子どもは反発を感じるしかない。
反発できる子どもはまだ救われるけど、反発しようにもできなかった子どもは
その部分でもつれた糸が後々まで影響して糸を絡ませてしまう場合があるのかもしれない。
「こんな話をするのはこれで最後にする。」と言った息子は、最後にこんなことも言いました。
それが最悪なことに、そんな親が大好きやったところが、そこがまた僕のあかんとこやねんけどな。