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朝、広島の叔母からお礼の電話。

20kgのお米のお礼に送った焼酎とワインが届いたそうです。

「今年は本当に早かった。何もしない内に終わってしまった。」と叔母が言うので

2か月間の入院、手術、通院、療養と、「おばちゃんが一番頑張ったよ」という言葉がすーっと出ました。

発病する前にしていたパート、確かホウレンソウを束ねたりする仕事だと言ってたっけ

雇い主の奥様が、「週に一度、2時間くらいからする気はないか」と声を掛けて下さっているとか。

絶対に無理をしないことを約束し

少しでも体調が悪くなったらすぐに辞めさせていただくことを了解してくださるなら

良いのではないかと姪の立場から言いました。

じっとしているのが苦手な叔母です。

76歳の叔母を必要としてくださる場があり、お仲間と一緒に働ける時間が

叔母の寿命を延ばしてくれるような気がしました。

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お昼前に娘がやって来ました。サクラの顔を見て、うちでお昼ごはんを食べ、お茶を飲んで

おしゃべりして午後3時には帰って行きました。

そう言えば母が生きていた頃、私は2~3週に一度、デパ地下でお寿司とスイーツを買って実家見舞いに行き

母とお昼ごはんを食べ、サクラとじゃれて、電車の時間に合わせていつも15:20に実家を後にしていたなぁと思い出しました。

夫が仕事をしている間は、子ども達にご馳走する機会が多いと思います。

家に遊びに来てくれれば、ふだんは食べていないような美味しいお取り寄せを食べさせてあげたいし

お誕生会や●●会と聞けば自ら財布は任されます。

子ども達は申し訳なさそうにしていることもありますが、夫が仕事を引退して完全な年金暮らしになったら

甘えてゴチになるので心配なく( *´艸`)

我が母もそんな感じでした。

70歳まで仕事をしていたし、気前の良い人だったのでよくご馳走になりましたが

仕事を辞めてからは私達がご馳走することが多くなり、なんだか母が小さくなっているようにも見えたものです。

その代わり給付金などの臨時収入があると、それで焼肉を奢ってくれたり旅費を出してくれたりし

そんな時の母はかつての「太っ腹かあさん」を思い出させるようで、母自身がとても満足で嬉しそうでした。



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こんなことを書いているのも夫宛に「大切な書類」が届き、いよいよ晴れて年金受給者になるのかとしみじみ。

少しだけ明日に続きます。