今日は土曜日。昨夕から夫は滋賀県へ宿泊出張。

なので昨晩は私とサクラののんびりナイトライフを過ごしました。

と書いてみて、さして普段と変わらないのに、いったい何がこの気持ちの解放感をもたらすのかなぁと思うのです。

夫はまったく手が掛からない人だし、食事とお風呂が済めば早々に寝るタイプだから

存在が気になるわけでもない。

この解放感、この気楽さは「自由」という感覚に他ならない…という気がしてきました。

自分の食べたい献立で構わないし、●時までに何かをしないといけないという縛りもない、自由だー‼︎ という感覚?



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私にしてはめずらしく発売とほぼ同時にAmazonで購入していた本は

中道あんさんの「誰かのために」を手放して生きる

途中まで読んで放置していたので、そんな自由な金曜の夜に続きを読みました。

付箋をつけたい箇所が何ヶ所もあって(実際、付箋だらけ)

その中でも特に印象に残った部分を引用させていただきます。

ケーキ1切れだけを収めた小箱を受け取ったとき、いろんなものがざわっと通り抜けた気がしました。
ちょっとした感慨とでも言うのでしょうか。
「ああ私、ようやく、ケーキを1つだけ買うことができるようになったんだ」と。
子育てが終わったこと。別居を経て、子どもとふたり暮らしになったこと。
たくさんのケーキ、ずっしりした重さを大事に抱えたあの帰り路。そして、ケーキを買うのにも家族に気を遣っていた昔の自分。

理解できるわぁ
と思いながら読んでいる自分がいました。

家族のためでなく、誰かのためでなく、自分のためにだけケーキを1つだけ買う喜び。

ずっしりした重さを大事に抱えて帰る昔の自分。

それはまさに自分の大切な家族の重みだったのですね。

いえ、もちろんその重みがその時は自分の幸せの重みに感じていたはず。

大事に抱えて、家族の待つ家に帰る自分に何の不満もなかったはず。

ご自分の家族を、大事に抱えていたケーキに無意識に例えていらっしゃるところも素敵♡



私自身は家族からの自立が中途半端です。

でも完全に解放されたいとも思っていない。

負担になるほど頼られ過ぎるのは困るけど、頼りにされ、力になれることはささやかな喜び。

かく言う私も先日、ふとこんな考えがよぎりました。

子育てが終わり、夫の仕事のサポートをし、病気の母のお世話をし、老犬のお世話をし

もちろんそれは中道あんさんの言葉をお借りするなら

私にとっては大事なケーキが入っている箱そのものだったので手放したくはなかったのです。

が、わがままなもので、この先 自分のために生きられる時間はどれくらい残っているんだろう? と

そんな焦りがよぎったことは事実ではあります。

「誰かのために」生きることに歓びを感じる人がいても、それはそれで素敵なこと。

手放して自由になれる人、手放したくない人、私のようにたまに手放すからこそ自由の有り難味を味わえて満足な人

人それぞれなのかなぁと。こういう八方美人的な言い方が一番ずるいんですけどね(^^;

私は残りの人生、時々ひとり旅暮らしをし、家族のもとに帰り、たまに家族と一緒に旅をし

そんな旅暮らしをライフワークになっているブログに残す人生が送れたら最高だなぁ。

旅に出かけられなくなったときのために、好きなことを増やしたい自分へ

中道あんさんの言葉(付箋より)


「好きなこと」というのは一生懸命探すようなものでもないと思います。コツは、「ふと」した瞬間に芽生えた好奇心の芽を摘まないことです。

( ..)φメモメモ