
風が強かったのでしょうか、朝さんぽのとき、ツバキの花がたくさん落ちていました。
今年は桜の開花が早いので、ツバキも慌てて散ってしまったかな( *´艸`)

落ち椿と呼ぶのでしょうか、花が丸ごと落ちるので、その姿もキレイですね。
京都だけでもこんなにたくさんのツバキの名所があるそうです。
若い頃はほとんど興味がなかった花ですが、大きいおとなになってから好きになった花。
いつかツバキ鑑賞に行ってみたい、してみたいことのひとつです。
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母が亡くなってから「運命」について考える時間がありました。
人は自分の運命を知りえることができないじゃないですか。
どんな出会いがあるだろうとか
どんな人と結婚するんだろうとか
将来はどこで暮らしているだろうとか
どんな仕事をしているだろうとか
究極は・・・何歳まで生きるだろう
普通ならわからないことがわかってしまうのが余命通告。
え、あと3ヶ月? あと半年? あと1年後に自分はこの世からいなくなるの?
運命なんていたずらにわからない方がいい。
わからないから恐れることなく、あきらめることなく、絶望することなく、のほほんと生きてこられた。
母が亡くなる1ヶ月前には旅行をしていました。
旅行先のホテルで深夜にワールドカップを観たり、美味しい料理を食べて喜んだり
1ヶ月後に死ぬことがわかっていたら、私達はあんなに自然に笑って過ごすことなどできただろうか。
それとも「死ぬまでにしておきたいこと」を躍起になって実行するパターンもあるかな。映画のように。

母の場合は、中皮腫と診断されてから半年~1年の余命と主治医から聞いていました。
桜が咲くころか…と弟がつぶやきました。
かーかー(お母さん)、今年も桜が咲き始めたよ。
今年の桜を一緒に見られたとて、母がもっと長生きできたわけではないならもう未練はない。
いつかは終わらないといけない人生。
桜の一生にも人の一生にも必ず終わりがあるのなら、母の散り方はとても穏やかだったのではないかな。
強風に吹かれることもなく、雨に打たれることもなく
愛する人に見守られながら少しずつ少しずつ花びらが舞っていき
私達は母と言う桜の木の下にいたのに、少し目を反らした瞬間に最後の1枚の花びらが散っていました。

そんなことを思いながら、少しずつ満開に近づいていく桜の下を、私は毎朝、毎昼、毎夕
サクラと一緒に散歩しています。
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