10/28(土)のこと
三重県四日市市での大会物販に向けて、近鉄特急で移動した日のこと。
どうして特急電車の指定席に乗ると駅弁を食べたくなるんだろう?
大阪なんばの総菜屋さんで買ってきたお弁当を食べながら、車窓から見える景色は
途中までは この数日前に母と鳥羽へ行ったときに見た景色。
母と食べた駅弁、母が持って来てくれた果物の記事は記憶に新しい。
母と通った道を、今度は夫と通る。
余談話だけど、いつか書いてみたいと思っていたことがあって
家族と歩いた場所を違う誰かと再び歩くとき、すごく哀愁を感じる不思議について。
仲の良い友達と来たことのある場所に再訪したときは、明るい気持ちで思い出す。
それなのに家族と来たことのある場所のときは、一瞬さびしい気持ちになるなんて。
家族はさびしい存在ではないはずなのに。
一番近いところにいる存在なのに。
この感情は、娘も共感すると言ってた。
友人知人とやって来た場所には感じない感情なのに、どうして家族と来たことのある場所にだけは
これを感じるんだろうって。
ソウルの街にいても、あぁ、ここ、前に母とゆっくり歩いたなぁ、夫とこんな話をしながら歩いたなぁ、
娘とふざけ合ってこんなことしたなぁ、息子も一緒だったことが信じられないなぁ。。
思い出があっちこっちに散らばっていて、そのかけらを踏むたびに私が抱く感情は
あれはどう言葉で説明すればいいんだろう。
一瞬悲しくて、そのあと温かくなって、幸福の吹き出しのようなもの。
娘は私と旅行したニューヨークは、ママ以外の人と旅行しない、ママを思い出すからと言う。
まぁ、きっと彼女は母以外の人と再びニューヨークの地を踏むことがあると私は確信しているけど
でもその気持ちはとても理解できるんだよね。
私と娘は似たもの親子ではないけれど、この感情はとても共感している。
私は今これを書きながら、薄っすらとだけど気づき始めていることがある。
家族は・・・とても大事な家族は永遠ではないから
いつかいなくなる存在だから、いなくなったときに家族を思い出す場所を
見つけてしまったからではないかなと。
楽しい思い出がいっぱいあることは、思い出の数だけ幸せがあると思ってきたけれど
思い出は時に人を寂しくさせるもの。
その寂しさの延長線上に、本当の幸せな思い出があったりするんだけど。
+
今日は親戚のS子さんの葬儀だった。
うちの子ども達よりも少し若い娘さんと息子さんがいらっしゃるので、見るのも辛かった。
S子さんとのたくさんの思い出を共有していらっしゃるご家族にも
今は悲しみのどん底でも、きっと、きっと、いつか
幸せを感じられる思い出の道が永遠に続いていることを祈りたい。
ご冥福をお祈りします。
三重県四日市市での大会物販に向けて、近鉄特急で移動した日のこと。
どうして特急電車の指定席に乗ると駅弁を食べたくなるんだろう?
大阪なんばの総菜屋さんで買ってきたお弁当を食べながら、車窓から見える景色は
途中までは この数日前に母と鳥羽へ行ったときに見た景色。
母と食べた駅弁、母が持って来てくれた果物の記事は記憶に新しい。
母と通った道を、今度は夫と通る。
余談話だけど、いつか書いてみたいと思っていたことがあって
家族と歩いた場所を違う誰かと再び歩くとき、すごく哀愁を感じる不思議について。
仲の良い友達と来たことのある場所に再訪したときは、明るい気持ちで思い出す。
それなのに家族と来たことのある場所のときは、一瞬さびしい気持ちになるなんて。
家族はさびしい存在ではないはずなのに。
一番近いところにいる存在なのに。
この感情は、娘も共感すると言ってた。
友人知人とやって来た場所には感じない感情なのに、どうして家族と来たことのある場所にだけは
これを感じるんだろうって。
ソウルの街にいても、あぁ、ここ、前に母とゆっくり歩いたなぁ、夫とこんな話をしながら歩いたなぁ、
娘とふざけ合ってこんなことしたなぁ、息子も一緒だったことが信じられないなぁ。。
思い出があっちこっちに散らばっていて、そのかけらを踏むたびに私が抱く感情は
あれはどう言葉で説明すればいいんだろう。
一瞬悲しくて、そのあと温かくなって、幸福の吹き出しのようなもの。
娘は私と旅行したニューヨークは、ママ以外の人と旅行しない、ママを思い出すからと言う。
まぁ、きっと彼女は母以外の人と再びニューヨークの地を踏むことがあると私は確信しているけど
でもその気持ちはとても理解できるんだよね。
私と娘は似たもの親子ではないけれど、この感情はとても共感している。
私は今これを書きながら、薄っすらとだけど気づき始めていることがある。
家族は・・・とても大事な家族は永遠ではないから
いつかいなくなる存在だから、いなくなったときに家族を思い出す場所を
見つけてしまったからではないかなと。
楽しい思い出がいっぱいあることは、思い出の数だけ幸せがあると思ってきたけれど
思い出は時に人を寂しくさせるもの。
その寂しさの延長線上に、本当の幸せな思い出があったりするんだけど。
+
今日は親戚のS子さんの葬儀だった。
うちの子ども達よりも少し若い娘さんと息子さんがいらっしゃるので、見るのも辛かった。
S子さんとのたくさんの思い出を共有していらっしゃるご家族にも
今は悲しみのどん底でも、きっと、きっと、いつか
幸せを感じられる思い出の道が永遠に続いていることを祈りたい。
ご冥福をお祈りします。