2011年04月09日 方向性 1週間前のベランダのムスカリ。その頃 桜も咲き始め、戸建のお家の前にはスミレを初め春の花が可愛く咲いていていつの間にか春だなぁと思いながら家に帰りベランダに出るとこんなに伸びていたのでサプライズ。自分の家の子達もちゃんと春を告げてくれていたのに、気づくのが遅くてごめん(・。・;放任主義に育てていても、ちゃんと育ってくれていました。色々と起伏が激しい1週間だったけど、みんな同じ方向を向いて咲いてるムスカリを見ると愛おしく感じた。+++昨晩はブログをアップせずに寝てしまいました。息子のことで色々と思い悩むことがありまして、私、昔から悩みがあると寝る習性があるもんで・・思考を止めたいセンサーが無意識に働くんですね。息子のことは、落ち着いて方向性が決まったらまた書きます。ムスカリみたいに同じ方向を向いて生きたいものです。家族ですから。
2011年04月07日 単独行動 息子、大学の履修科目のことで早くも頭を悩ます。 今日はひとりで大学の図書館へ行ってみたそうです。 大学生にもなると(特に男子は)わりと単独行動をとる人が多いのかと思いきや まだ高校の延長なのか、皆さん友達作りに盛んらしい。 そういうノリが苦手なタイプなので、この時期はちょっとキツイだろうな。 この間、面白いことを思いついたんです。 夫と息子って全くタイプが違うし、考え方も何もかも違うけれど 同じ時代に大学生だったら、周りを気にせず単独行動派で 案外あっさりしたよい関係だったかもって。 私と娘は同じ時代に大学生だったら、きっとグループが違ってたと思う。 娘がちょっと派手なグループで、私はやや地味なグループ。 共通点は、ひとりでトイレに行くところ。トイレで顔なじみになってるか(笑)
2011年04月06日 アーモンドの花 アーモンドの花って、桜の花に似てますね。+++風邪っぴきで、ちょっと頭がぼーーとしていますが、どうぞご心配なく。息子と夕飯を食べ終わり、池上彰さんの学べるニュースを見ながら、今からソファで寝るとします。
2011年04月05日 なんばで食事 先日、K子ちゃんとなんばCITYで食べたお昼ごはん。旅疲れであっさりした和食リクエストのK子ちゃん。有機茶寮というお店に行きました。体に優しく、安全でおいしい食事とあって、この日の気分にぴったり!だったのですがメニューを見ているとふたりともカレーが食べたくなり大豆と山菜の和風玄米カレー・サラダ付きにしました。見た目にとても可愛いサラダ、ドレッシングが行き渡りにくいところはご愛嬌ということで150円のほうじ茶付きでとても美味しかったです。カレーもマイルドで体に優しいお味。デザートにも興味があったけど、それは他のお店に場所を移すことにしました。改装して新しくなったらしい難波高島屋のレストラン街は、その名も“なんばダイニングメゾン”ロビーカフェファシーノというお店へ行きましt。さきほどの食事よりも値が高いタルト(笑)上の写真はK子ちゃんチョイスのシャルロットマンゴ。こちらは私チョイスのタルトフルーツ。みずみずしくて美味しいフルーツでした。K子ちゃんの紅茶はもちろんティーポットで。そして私のコーヒーまでお代りができるところがポイントアップでした。
2011年04月04日 入学式 今日は息子の大学の入学式でした。朝、マンションを出るところの1枚。以前はこんなこと言わなかったのに、このブログに顔を出して欲しくないらしいのでこれが限界サイズの写真です。(ちょっと肩に力が入ってます笑)ズボンが細くて窮屈だとかズボン、短かない?とか気になるあたりまだダボダボで裾を踏みそうな学ランの方が着心地が良いみたいです(笑)通称“大学通り”と呼ばれる通りの両脇にはサークルのお誘いの先輩達がずらーっと並びサークルお誘いの洗礼を受けながら門出を迎えるはずなのにうちの息子ときたらポケットに両手を入れて、「チラシいらん」オーラむんむん。しまいには配っている人の背後をするりとすり抜けて行きました。無事に西門到着。一昨日ここで記念写真を撮っておいたので、今日はスルー。一昨日のはジーンズ姿だったけどね(-.-)保護者用の会場前で息子と分かれました。保護者は式の様子をスクリーンで拝見です。同じ空気を感じられなくて味気ないけれど、マンモス大学ゆえ仕方ありません。まずは東日本大震災に向けての黙祷から始まりました。元気を送りましょうの掛け声で、学生達のパフォーマンスで幕を開けちょっとしたショーを見ているような構成に感動。が、2日前から風邪っぴきの私は、急に咳込んで止まらなくなってしまい迷惑になると思ったので慌てて会場の外へ出ました。式典の1/3を残していたけれど、帰りも電車が混むことを予想して後ろ髪を引かれながらもひと足先に会場を後にすることにしました。後で息子に聞くと、私はブラバンとチアのステージを見逃したらしいです。本当は帰りに実家へ寄って来る予定でしたが、何だかぞくぞくと寒気もするので母にメールをして、おとなしく家へ帰ることに。英語のテストを受けて帰って来た息子も、セレモニーとスーツにどっぷり疲れた様子でした。明日は肩の凝らない私服だし、新しい路線にも少し慣れたようだし日に日に大学生らしくなっていくんでしょうか。
2011年04月03日 過去のブログから 「中学の間にピッチャーになれなかったら、高校では野球をやらない。その為に勉強もちゃんとやってるんや、僕は僕でちゃんと考えてるから。」と、ある日きっぱり言われたことがある。あぁでもない、こぅでもないと、常に母に報告&愚痴る娘と違って、息子の良いところでもあり、悲しいところでもある。きっぱり言う潔さに成長を感じる反面、自分で何もかも決めて、そうやって断ち切って行く道しか思いつかないところが男の子の悲しさかなとも感じる。白か黒、右か左しかない。その間の道がない。「高校では、楽しい野球をすればいいやん」と言うのが母には精一杯だけど、妥協やあきらめを知る前の息子を見ていられるのは、今しかないかもしれないな 最近の私は、息子とWBCのゲームを観て、話題で盛り上がっている時が楽しい。 +++これは5年前のブログです。桜の記事を書いた日に、昔の3月のブログを読み返していました。あの頃の私のブログはとても長い(・。・;時間と気持ちに余裕があったのか。今ではブログの大半を占める「おいしいもの」の記事はあまり見かけない。日々の気づきや思いを長々と書いていた。実はあの頃、ブログを書く時にちょっとだけ頭に置いていたことがあった。賢そうなことは何も書けないけど、いい歳をして書くブログだから少しでも良いから「気づき」みたいなことを見つけて書きたい・・ってこと。それがいつしか現在のブログのように、時には写真でごまかしているような日も(苦笑)と言うか、あまりくどくど長々書かないようにしているところもあったり。言いたいことが山ほどある日ほど、ほんの2,3行で書く方が想いが伝わるような気がしたり。自然に変化してきたことだから良い良い、と自分で思ってる。それにしても上の引用を読んだ時、当時中学1年生だった息子は早くも現在の気質の原型を持っていたことに気づかされて小さな驚きだった。昨日も一緒に大学まで行って帰る道中、少し話が出来た。もう親の言いなりにはならない年齢だけど、「ひとつだけ言わせて」と話した。これからは自分への言い訳をしないで生きて。批判することで自分を正当化したらダメ。友達のせい、先生のせい、学校のせい、社会のせい、この仕事はこうだからとか、この上司はこうだからとか・・・そういう言い訳はなし。でも愚痴ならたまに聞いてあげる。理解した時も、話してもムダと思った時も彼は口を閉ざす。この時はどうだったのか、何も言葉が返ってこなかったけどね。でもまぁ、いろいろ考えてる子ではある。考え過ぎて行動を鈍らせているように思えることもあるけど。ちょっと変わり者かもしれないけど、変わっていることは悪いことではないからそれでも良い。自分は黙々とする仕事が向いてると思う。だから、工場か清掃のバイトを探すんだって。マニュアル通りのセリフを言う仕事はイヤなんだって。ふ~~ん。。(-_-)/~~~だよね。画像は、昨日なんば駅の構内で買ったシュークリームとエクレア。最近、なんば出没率が増えました♪
2011年04月02日 通学路線 今日は息子が入学する大学へ学生証と通学証明書を受け取りに行くと言うので下見も兼ねて一緒に行って来ました。入試は神戸会場で受けたために、本校へ足を運んでなかったのです。正確には、高校2年生の秋にオープンキャンパスで一度行ったことがあるけれど大学受験を真剣に考えていなかった頃なので、彼の頭の地図は白地図状態でした。うんうん、確かにややこしい。大阪育ちの私でさえ、ちょっと迷う部分があるけれど、ドア to ドアの乗り換えなので随分ラクです。でも歩く距離を入れると小1時間はかかるかな。学生証を受け取って、BLO●●OM CAFE へ場所を移しました。へぇ~、モスバーガーやすき家も入ってるのね。何だか親の方がわくわく♪通学証明書の為の書類に記入しているところ。大体の人は友達と連れ立って来ていたけれど、息子は自分の親しかった友達で同じ大学へ進む人は皆無のようです。案外、中学時代の友達で顔見知りがいるかもね、と話しました。こちらの建物は明後日の入学式の保護者等の会場だそうです。帰りに通学定期券を買って帰りました。今日はそれほど緊張したわけでもないのに、何だかふたりとも疲れていました。遠くに感じた通学路線も、慣れる内に近くに感じるようになるかな。
2011年04月01日 桜が咲いてた 今日から4月。歩いて仕事①へ行く途中、桜が咲き始めていたのでびっくり!あれあれ?? いつの間に。季節は着実に春になっていました。+++心の中に季節などなく、勝手に桜が咲いて散っていったような年がありました。義母が3月半ばに初めて入院した年がそうだった。7年前のあの年は、入院直後の義母の誕生日も桜も春もなかったな・・こんな時に不謹慎な言い方だけど、私の平凡でありふれた生活がぐらぐらっと揺らいだような春だった。でも、病院に通う道沿いに桜は咲いてたよ、確かにね。目には写っていても、心に映ってなかっただけで。しばらく前にテレビで見た被災地の小学生の女の子の何とも言えない悲痛な呼び声が耳に残って仕方ないのです。家族を失った女の子が、宙に向かって「おかあさーーん!」って泣いて叫んでた。被災地の人達に今年の桜は見えているかなと思う、咲き始めた桜の木を下から見上げながら。来年、再来年と、季節が回れば桜は必ず咲くからまた今年と違う思いで来年の桜を見上げられるように、乗り越えてほしいなと思う。