義母のお見舞い
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昨日仕事�@の帰り、義母が入院した病院へお見舞いに行った
疲れないかと心配するくらいよくお話して下さるが、やはりしんどそうだ。突然胸の前で合掌して、「幸せな人生でしたよ、ありがとう」とおっしゃった時には、思わずこちらまで顔がわなわなしそうだったけどなんとか耐えた

気のせいかお義母さんは昔話が多かった。そう言う私だって最近よく思い出すのは、嫁入りした直後、実家のご近所を一軒ずつ義母に連れられて挨拶に回った曰のこと
不思議なことにそうなのだ。昨日は義母と一緒に過ごした4時間は幸せな時間だった
義母の夕飯の煮物を楊枝でつついて一緒に食べたり、昔話を聞いたり。もしかするとずっと後になって、「あの時もっと感謝の気持ちを伝えればよかった」とか、「ああ言えばよかった」と悔やむ日が来るかもしれない。でも昨日は義母と気の向くまま普通に女同士の会話や母と娘の会話をしようと思う別の私がいた。
画像は病室から見た景色。
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天つゆがついていないので聞いてみると、うどんのおつゆにつけて食べるらしい。こんな食べ方は初めてだったけど美味しかった~

軽々しく吐いている言葉の持つ、本当の罪深い意味を考えて欲しいと思った。

「これ借りたけど、ダビングする


義母はリビングのテーブルに座っていたけれど、このお正月に会った時とは全く表情も様子も違っていた。横になっているよりも、机に伏せている体勢がラクだと言って、ずっとそうしながら私達に伝えておかなければならないことを話していた。
認知症専用のフロアと一般フロアの両方を見学させてもらった。まず見学した一般フロアにはかなり高齢の方がたくさんおられ、殆どの方が車椅子に掛けておやつを頂いておられた。話をしている様子もない。静かだ。

と疑ってしまう様子なのだが、一緒に暮らしている妻には辛く当たる

自分さえ家にいて夫の世話ができれば、息子の家族にも迷惑がかからない・・その一心で頑張ってくれていた。それでもある時、本音をのぞかせたことがある。「病人が痴呆症の人を看病する・・こんな残酷なことはない。」「病気は放っておいたら死ねる。でも痴呆症は放っておいても死ねない、こんな罪な病気はない。」
何より、嫁の私がすぐにパートを辞め、四六時中 認知症の義父と向き合うという生活を現実として受け止めることは、私の器の域を超えている。
いつか、長年住み慣れた自宅に戻ることがあるのだろうか
義父がいなくなったあとの庭を想像するだけでも辛い

お義兄さん、お義姉さん、叔母さん、夫と私の5人で、何とか乗り切っていかなければ





