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20年勤めたパート先を今月末で退職するので、そろそろ机の中にある私物などを整理し

処分するもの、自宅へ持ち帰るものを分別しなければ💦

一番下の引き出しに身を隠すように表紙を裏返した本が1冊。



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表を返せばこのとおり(^^;

韓国語の勉強に夢中だった時期や検定試験が近くなったときは

お昼ごはんを食べながら、お行儀悪くペラペラと本を繰ってお勉強をしていた時期がしばらくありました。



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なにごともやり始め、覚えたてが一番楽しいんですよね。

1日に3個、新しい単語を覚えよう!そうしたら1年で3個×365日=1095個覚えられる!!

なんて目標を立てたこともあったのですが、こちらの方は途中で断念💦

それでも50歳を過ぎてから3級まで取得できたことは私の中の小さな小さな自慢。

夢中になれるものがあった頃は楽しかったなぁ。

また何か、そんなものが見つかるだろうか。

+

私は母とどこへ行くのも一緒。韓国旅行も、コンサートも映画も食事も。

そんな仲良し親子のイメージがこのブログから間違って伝わっているかもしれませんが

実はそうでもないんです。母と私は性格やタイプが真逆に近い。

頑固なところは似ていると、最近娘に言われますが(^^;

もし母と私が同級生だったら、きっと同じグループではなかったと思います。

嫌いな人ではないけど、ちょっと自分とは違うな…とお互いに感じながら同じクラスにいる関係?

そんなふうに考えると面白いですよね( *´艸`)

母は40歳の時に夫に先立たれ、夫婦で何かを楽しむ時間がありませんでした。

敢えて深いおつきあいをする友達は作らず、これといった趣味もない母を

旅行やコンサートや映画や買い物や食事に連れ出し

色んな楽しみ方を教えてあげているつもりでした。私にできる範囲で。

母の喜ぶ顔が見たかったからなので、母のためだけにしたのではなく、結局自分に喜びが跳ね返っていたのですが。

そんな娘がいなくても母は一匹狼で生きていたかもしれません。さほど楽しくない人生であったかもしれないけど。

母は以前、「自分は孤独に強い人間だ」と言っていたことがありました。

母が叶えられなかったことのひとつとして、できることなら私は夫婦で1日も長く一緒に連れ添い

将来自分達が年老いたときになるべく子どもに依存せず、心配をかけず

「あの爺さんと婆さんは放っておいても楽しんで暮らしているから大丈夫」と思ってもらえるくらい

楽しみを見つけて機嫌よく生きていけるシニアになりたいなと思うわけです。

母が反面教師になって教えてくれました。

でも我が母がすごいなと思うのは、病身になってもこうしてたまには大阪の自宅に帰り

サクラと自立して暮らしているところ。

その間に行きたいところへ行きなさい。たまには(私の)娘と出かけて気晴らしでもして来なさいと

私を気遣ってくれるところ。

人生の終盤は娘依存するどころか、立派に自立しているところは我が母ながらすごいなと思います。

もしかして娘依存していたのではなく、一周回って私が親依存していただけだったのかなという気がし始めています(^^;