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今日は母の外来日で、呼吸器内科と循環器内科の梯子をしてきました。

肺の方は胸水の量もここ数カ月増えずに現状維持。

肺が落ち着いているので、心臓のカテーテル治療の説明がありました。

この手術は年齢の制限もなく、母くらいの体力があれば可能らしいのですが

不整脈があることと肺の持病を持っていることなどがネックになり、いくつかのリスクがあるという説明でした。

「家に帰ってご家族と相談して決めてください。もう一度説明が必要であれば、何度でもします。

ご本人の人生観などもありますから、悔いの残らない決断をしてください。」と、おっしゃってくださいました。

母の気持ちは「手術はしないで自然にまかせる」に決まっています。

「もう82歳まで十分生かせてもらったから、難しい手術をしてまで長生きしたいと思わない。」

先生は、「それも選択肢のひとつだと思います」とおっしゃいました。

私は娘として母にどうしてほしいかではなく、私が母の立場だったらどうするかなと考えたときに

母の気持ちはよくわかります。70歳だったら、もう少し生きたい!と思ったかもしれません。

人は何歳まで生きたら満足するんだろう?なんて疑問もよぎりますが、今はその話題はスルーして…

今回手術をして寿命が延びたとしても、自然寿命にまかせていたらかからなくてよかった他の病気や認知症を発症して

また別の痛みを味わうことになるかもしれません。今更ですが、これは私には大きな気づきでした。

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会計のフロアで順番を待っている間、今後どうするかについて母とポツポツと話をしました。

にんげん誰にも必ず生命の終わりは訪れるわけで

ローソクの火が消えるように老衰で人生の幕を閉じるのは理想的な終え方なのかなとも思うけど

なかなか簡単には死なせてはくれないというセリフも聞くように

病に苦しんだり、認知症で最愛の人のこともわからなくなったり…自分の人生はどんな形で終わるのかはわからないねって。

運命は決まってるかもしれないけど、運命がわかる人はいないよね、とか。

私はまだ経験がないから偉そうなことは言えないけど…という前置きをして

自分に最後の試練が訪れたとき、「よーし!この時がやってきたか」と静かに受け入れる強さと

そこからどう生きるかが大切よねって。

母が望む「穏やかに暮らすこと」、それも尊い生き方だと思うのです。

少し重い話題でしたが、現在の母は現状維持で良く食べ、よく寝、よくテレビを観て(爆)過ごしております。

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今日は初めて車椅子持参でタクシーで病院へ行ってましたので、帰りはある商業施設までタクシーで行き

母はそこからは車椅子で移動。「今日は私が奢るから美味しいものを食べよう」と母が言ってくれたので

お蕎麦屋さんでうなぎ定食をご馳走になりました。

母はいつも私の世話になっているという気持ちがあるので、年金が入った直後など、母が太っ腹になれる時は

素直に甘えることにしています。ごちそうさまでした(^u^)