今から3年前、娘とニューヨークのエースホテルに泊まった時の衝撃が大きく
次はポートランドのエースに泊まってみたいと思わない?と娘が聞いた。
私はそうだねーで終わってしまう人だけど、娘は思ったことは実現させる人。本気度が違う。
ポートランドがどこにあるのか、正直、国の名前なのか街の名前なのかもわかっていなかった私(^^;

北アメリカのオレゴン州の中にある都市。
知っていくにつれ、コーヒーの街、バラの街、アートな街、橋の街、美食の街と
ポートランドにつけられた通称はとても多く
なんと魅力に溢れた素晴らしい街なんだろうと、わくわくが止まらない。

エアのチケットを取ったのは、今年のGWが10連休になると政府が発表し
娘が会社に10連休の確認を取った直後。
そしてティンちゃんがこんなことになろうとは思わなかった頃。

ティンちゃんのことは息子に託し、食欲は減っているけど、整腸剤の回数も増やしたし
大丈夫だろうと安心して旅行の日を迎えた。
その2日後、牧草は食べるけどペレットは全く食べない、体重も減ったと息子から近況を聞き出し
旅行中もずっと心配で、息子とはラインやライン通話で状況を聞いていた。

今は1.0キロある体重が0.9キロくらいになると、余命が1週間から2週間の可能性もあると
先生から聞いた息子は、母が旅行から帰るまでは何とか生かして欲しいと頼んでくれたらしい。


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副作用の強い抗てんかん薬の量を減らし、代わりに整腸剤の回数を1日2回に増やし
栄養剤の点滴注射をしてもらい、食べられるものはおやつでも何でも与えて様子を見ると


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牧草はかなり食べるようになり、小さかったウンチの大きさも通常に戻り始めた。
私がポートランドからアマゾン経由で注文した「チモシーのきわみ」という高評価のフードも
少し食べていたらしい。←これは後に好んで食べなくなった(・・;)

幸いにも食欲が少し回復し、一度はドーンと沈んだ気持ちが、帰国の前日あたりから
また期待が持てるような嬉しい状況になった。もしかして奇跡が起きるかもと。

それにしても私達が出発した後に体調を崩すなんて
ティンちゃんが私達の後ろ髪を引かずに見送ってくれたとしか思えないタイミングだった。



今回の旅行中はティンちゃんという心配のタネがあり
ポートランドの街で小さなワンコを見ればティンちゃんを思い出し
うさぎの看板やぬいぐるみを見かければティンちゃんを思い出し

それでも私達には楽しい時間や笑っている瞬間瞬間がたくさんあった。
娘と、心配も喜びも共感できたことにも救われた。

夫もGW中は3日間京都だったこともあり、息子は家でひとりティンちゃんに向き合って
さぞ心細かったろうに思ったけど、意外な言葉が返ってきた。

どっぷりティンちゃんと向き合い、意識して楽しいこともたくさんしたと。
もうティンちゃんがいつ自分自身の寿命を決めてくれてもいいと思っている。
過度な延命治療はしない。
このGWは楽しかったと。

主体で世話をしている息子がそう言うのなら、それで良いと思っている。家族は誰も反対しない。
帰国し、待っててくれてありがとうと、一回りちいさくなったティンちゃんの体を撫でる。
サブで世話をしているおばちゃんのことを覚えていたかどうかはわからないけど。

それから2時間後、2ヶ月ぶりの発作を起こしてしまった。
発作を起こすタイミングまで、おばちゃんの帰国を待ってくれていたの(苦笑)?
食欲を回復させるために抗てんかん薬を控えたのが原因のよう。

発作を抑えることを優先して薬を与えれば食欲が落ちる。
息子としては、発作で暴れ回って急死するよりも
たとえご飯を食べなくなっても皆で看取ってあげる中で穏やかに逝く方を望んでいる。
先生にもそのように伝えたらしい。

私達がポートランド旅行を思い出すとき、ティンちゃんのこともリンクして思い出すかもしれない。
どんよりと沈んだ気持ちを思い出すのではなく
ティンちゃんのふわふわした手触りや可愛らしい表情をたくさん思い出せるように
今もこれからも明るい気持ちで見守りたい。