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ソウルにはいくつかの宮殿がありますが、その中から景福宮へ行ってみることにしました。
タクシーに乗ると、「すぐそこからバスが出てるよ」と指さして教えて下さいましたが
いいんです、タクシーで行きたいんです(笑)
今回の旅行中は全て一般タクシーを利用しましたが、どのドライバーさんもとても感じの良い方でした。

景福宮にはいくつかの門があって、上の写真はまずひとつ目の門「光化門」。


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ふたつ目の門「興礼門」。
色鮮やかな現代的な雰囲気が漂って見えますが、景福宮は1500年代に全焼した後
改築、復元を繰り返し、こちらの門は2001年に復元されたものだそうです。

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興礼門を入ったところで、10時からの無料の日本語ガイドの始まりを待ちます。
赤・青・黄・黒・白を用いて描かれる丹青(タンチョン)と呼ばれる装飾は
日本のお寺にはない色合いで、これを見ると韓国らしさを感じます。

そろそろ見学ツアーが始まるというアナウンスの後、ぞろぞろと人の動きがあったので
そこに混ざって歩き始めました。この主体性のなさが、後でちょっとした失敗に・・

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向こう側に見えるのは「勤政殿」。
人が歩いている通路は、その時代は王様しか歩いてはいけない道だったそうです。

ガイドさんが、ここを背景に写真を撮って下さると言うので、私達も列に加わりました。
やっと番が回って来たと思ったら、「うちのお客様ではございませんね?」と聞かれ
「無料の日本語ガイドではないんですか?」と聞き返すと、どうやら違ったようでした(/ω\)

どおりで初めはもっと多い集団だったのに、少しずつ列から抜けて行く人がいたんだ・・
今さら無料の日本語ガイド集団を探す気にもならず、自由に歩いて見学することにしました。

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同じく勤政殿ですが、後で行った民族博物館内にあった昔の写真です。

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勤政宮に上がる石段の段差が大きく、同じような階段を何度か上り下りするのが
母の膝に負担だったようです。足の付け根まで違和感を覚え始め、ちょっと不調に。。

母は毎日、愛犬のサクラと朝夕1時間ずつの散歩をしているし
ソウルに着いてからも「歩けるよ!」と張り切っていたので、私もちょっと油断していました。
平地なら良かったのですが、段差の大きい階段はまずかったようです。(もともと膝が悪いので・・)

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勤政殿は、国の重要な行事を行うところで、王と国の権威や品格を示す重要な空間だそうです。
そう言えば韓国の時代劇ドラマで、こういう感じの椅子に王様が座っている場面を何度も目にすることがあったなぁ。

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「慶会楼」は韓国の国宝で、国に祝事があったとき宴を催すために造られた
池に浮かぶ2階建ての楼閣だそうです。
特別観覧もされていて私は後ろ髪を引かれる思いだったけど、外から眺めるだけに留めました。

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同じ敷地内にある国立民族博物館。
雨が降らなかったのはとても有り難かったでのすが、この時間帯は日本と変わらずとても暑く、、
涼を求めて冷房がきいている博物館の中へ自然と足が向きました。

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民族博物館の建物の説明で、興味深かったのはこちらです。(コネストより)

  景福宮には不似合いな、一見寺のような建物、それが民俗博物館である。
  まるで模型のような民俗博物館は1972年に完成し、昔の人々の暮らしぶりを現代人にも伝えてきた。
  以来30年近く経つが、韓国でも多くの建築家達が最悪の建物と酷評をもらす。
  儒教の国、朝鮮王国の正宮であった景福宮の中に寺の形の建物があるというのも問題にされている。
  優れた伝統建築のいいところだけを真似て作った建物ではあるが、自然とも歴史とも調和していない
  不自然さが感じられる。

忘れてはならないのは、韓国と日本の歴史において、この立派な景福宮の建物を全焼させたのは
日本軍であったことなんですよね。



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韓民族の生活史・韓国人の日常・韓国人の一生・・という3つの展示場からなっています。
韓国は日本と近い国だけど、やっぱり食文化も生活の文化も違うから面白いです。

母と娘がふたりでトイレへ行った時の出来事で、(内容はあまりにくだらないので省略イタシマス・笑)
お互いの言い分もあるのですが、いつもなら豪快に笑い飛ばす母がこの時はよほど疲れていたのか
年甲斐もなくヘソを曲げてしまい、「先にホテルへ帰る」と言い出したのです。
母の好きなパッピンスを食べに行こうとなだめたら納まりましたが(笑)

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博物館を出た所でチェジュ島のシンボル・トルハルバン(石のおじいさん)が見送ってくれました。
こんなところでお会いできるとは♪
仲良くしなさいよ~と言われているようで、この顔に癒されました(´∀`*)

この後、三清洞を少し散歩します。