1週間ほど前、息子と音楽の話をしていて、「ひとりでよく頑張ってるね」と
息子に言葉を掛けた。素直にそう感じたから。

そのあたりから、息子がよく音楽の話や今の状況について、今後の話を私に
してくれるようになった。私があまり理解を示さない頃は、「話さない宣言」まで
していたのに。

半年くらい前かな、息子と口論していた時、
「普通に高校行って、適当に勉強して、適当に部活して、友達とつるんでる方が、
どんだけラクやと思うねん!」と言ったことがあった。(←あくまで「適当」にして
いる人達への感情なので悪しからず。)

一見、それはとても健全に見える高校生活。
親が一番安心する高校生活と言えるかもしれない。
その道を選んでくれても良かったんだけど、たまたま彼がやりたかったことは
その道じゃなかった。
ひとりで頑張ると決めた彼の葛藤がそこにあったに違いない。

以前は、どこからあの「自信」が生まれるのかと不思議だった。
「保障」も「確信」も何もないのに。
親に似ず、「夢」と「自信」を持てるこの性格?体質?には本当に恐れ入ったし
ある意味すごいと思った。

でも最近その自信が揺らぎ始めたようで、単なるスランプかもしれないけど
「大学に行く意味がない」とか「大学で勉強したいことは何もない」とか
「勉強してる時間がもったいない」とか豪語していた息子が
「やっぱり普通に大学に行く」というような言葉を言ったりして・・・
この中間試験は、めずらしく勉強したりなんかして・・・

それはそれで親として「つまらなさ」を感じてしまう。
やっぱり彼もこうやって小さくまとまっていくのかと。

親が理解を示したとたん、息子は親に弱いところをちょっとだけ見せるようになった。
行け行け!GoGo! だったのが、ちょっと立ち止まってみたりするようになった。
私は前にも一度、息子のこんな場面を見たことがある。
野球に夢を持って努力していた時もそうだった。

そして今度は音楽に夢を持って動き出した時、「現実を顧みずに夢を追えるのは
多分これが最後じゃないかな」という予感がしていた。
少し成長した彼は、これからは「現実を顧みながら夢を追う」ことを考え始める。

ただひと言、忘れないように書き留めておこうと思う言葉。
「僕、音楽を嫌いになりたないねん。社会人になっても、仕事しながら路上とかで
歌ったりしてたいねん。」

「ずっと好きでいることが一番やよ。」と私も言った。初めて親子で意見が一致した。
でもこんな記念すべき大事なことを、冷蔵庫に飲み物を取りに来たついでに
ボソッと言うところ、昔とぜんぜん変わってない。

あの時、私がパソコンを打つ手を止めなかったら聞き逃していたかもしれないと
思うと、まったく油断ならない息子との会話なんだな、これが。

P.S.  少し形を変えながらも、彼の夢追いはまだしばらく続きそうです。
     1年前の日記。少しは成長したのかな。

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今日のカナダ便り

2回目のプレゼンテーションのテーマは「自分の国の昔話」
塾で習った「落窪物語」が古典の中で一番好きだったのでこれを選んだそう。
選んだ物語は平安時代?のシンデレラ物語だけど、娘は昔から現実的だったなぁ。
こんなにタイプの違う女の子と男の子を育てさせてもらって、親冥利に尽きますわ(汗)