義母の葬儀が無事終わりました。入院からこの日まで、ブログを通じて私の状況を感じ取って下さって、静かに見守って下さっていた友人、知人の皆さん、本当に有り難うございました。
住職さんが一旦退場された後に職を離れて再び棺の近くにやって来られ、一個人として花を手向けて下さいました。とても長いおつきあいだったそうです。
私が一番辛かったのは、マイクロバスで火葬場に向かう途中でした。義母がこの地に嫁いで50年余り、毎日のように歩き慣れた郵便局~スーパーへの道、義父に付き添って歩いたクリニックへの道、義母の生活の中にあった見慣れた風景をなぞっている時が、一番寂しい瞬間でした。
これからも何度も何度もこういう思いを重ね、いつか心穏やかに義母のことを思い出せるようになっていくのでしょうか
いつも応援有り難うございます
コメント
コメント一覧 (4)
葬儀(通夜)の時 お坊さんがおっしゃってました。
「死を悲しんではいけない 悲しんでいては 亡くなった人が心配して 天国に行けないから 笑って送り出してあげたほうがいい。」という言葉を記憶しています。その言葉の意味は十分理解しているものの やはり その時は悲しみと悔しさでいっぱいでした。ごめんなさい。大好きだったおじさんの死がまだ最近だったので 気持ちの整理のつかない私が sonochanさんにかける言葉は安易ではありませんでしたし、今こうやって書き込みをしている自分自身が ひょっとしたら矛盾しているんではないか 書き込みすべきではないのでは…と。
こういうときに何て申し上げたら良いのか と、言葉が見つからず歯がゆさでいっぱいです。
sonochanさんには 此処で沢山の事を学びましたよ。有り難う。
私も ありふれた毎日だけれど 1日1日を 大事にしていきたいです。ありふれた毎日が どんなに幸せな事か 当たり前の事が どんなに尊い事か 日々感謝の気持ちを持って 毎日をやり過ごしていきたいと 改めて思います。
毎日パソコンに向かってブログを書き込んでいるsonochanさんの姿を想像しながら拝読していました。 風邪 流行ってますから くれぐれも気をつけてくださいね。
sono1019
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パパさんがね、「この道を行ってもらえますか。 いつもここを歩いていたんですよ」と運転士さんにお願いして、うちの前を通る道を選んでゆっくりと走ってもらった。 {クローバー}
まぁ わたしはボロボロだったけど・・ でも最後に自分がいつも歩いてた道を行けて 「サスガ うちのムコさんじゃ{YES}」 とばばちゃんは言ったと思う。
その道は、毎日自転車でばばちゃんちへ通った道。
{ヤシの木}リンに話したように、その道で見るお月様は 時々{雨}が降った。。
なぜか満月がだめだった・・ (狼女か わたしは)
でもね 時の優しさ、騒がしい日常の中で、少しずつお月様に雨は降らなくなっていたよ。
淋しさがぜんぶ懐かしさに変わるまでには もう少し時間がかかるだろうけど、きっといつか穏やかに思い出に変わって行くのだと思う・・
( でも、ちょっとは淋しがってあげないと「薄情もん~!!」とばばちゃんの怒声がするかもね~{YES})
日曜の朝
ばばちゃんに 「古き良き時代の同志が行くから 道案内よろしくね」 と言っておいたよ。
父二人に母二人、強い 『味方』 がまた増えたね。{さくら}
sono1019
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最愛の人の死は重くて悲しいものでありながら、人の命のはかなさも同時に感じます。家族、親戚がたくさんいることは賑やかで楽しいことだけど、これから自分はいくつ、こんな悲しい思いを乗り越えていかないといけないんだろう。。なんて考えると、正直、鬱な気分になることさえあります{涙}
そんなふうに考えるよりも、空手ママのおっしゃる通り、毎日の日々に感謝しながら元気に笑って過ごすことが大切なんですよね{ふたば}
sono1019
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さっすが、パパさんだね{グッド} そういう優しさ、包容力{ガッテン}
今日は仕事へ向かう途中も思い出すとウルウルするから、「お義母さん、悪いけど仕事の間はお義母さんのこと思い出さないね、頑張って仕事に集中します」と心の中で宣言したよ(笑)
満月の夜か。。{流れ星} 今年のお彼岸あたりには、平穏な気持ちで満月を眺めるようになっていると良いね{十五夜} お互いに{YES}
強い味方・・そうなのよ。かえって近くに感じる部分もあるわ。不思議よね。
sono1019
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