今日、夫の父が介護の施設に入所した。これまでもデイサービスやショートステイは利用していたのだが、今回は9ヶ月のロングステイを契約することになった。義父は軽い認知症であり、たまに会うとジョークも飛ばすし一体どこが認知症と疑ってしまう様子なのだが、一緒に暮らしている妻には辛く当たる
義母も週に一度の通院をする体なのだから、一番いたわらなくてはならない人なのに、義父は自分自身も妻も健康体だと思っている。つまりそれが父の病なのだ。だから母がてきぱきと立ち振る舞わないと癇癪をおこすらしい
義母はそれでも今まで頑張ってくれていた 自分さえ家にいて夫の世話ができれば、息子の家族にも迷惑がかからない・・その一心で頑張ってくれていた。それでもある時、本音をのぞかせたことがある。「病人が痴呆症の人を看病する・・こんな残酷なことはない。」「病気は放っておいたら死ねる。でも痴呆症は放っておいても死ねない、こんな罪な病気はない。」
そんな身につまされる言葉を聞きながらも、いつも気丈なお義母さんに甘えて、私達も兄一家も自分達の生活を続けさせてもらっていた。お義母さんには、「長い間ご苦労さまでした」と心から感謝している。自分の親を施設に入れる決心をするのも辛いことだが、自分の夫をそうする決心をしたお義母さんも辛かったと思う。
一昨日の朝の電話を境に、義母はとうとう心身ともに限界が来てしまった。だからと言って兄の家も我が家も今すぐに義父を引き取ることは不可能なのだ 住宅事情も厳しい、経済的にも厳しい 何より、嫁の私がすぐにパートを辞め、四六時中 認知症の義父と向き合うという生活を現実として受け止めることは、私の器の域を超えている。
義父は今日いつもと変わらず施設に向かったはずだ。1日過ごせば、また自宅に帰る・・そう思って出かけたに違いない こんなに長い滞在になるなんて、義父は知らされていない いつか、長年住み慣れた自宅に戻ることがあるのだろうか 少なくとも妻とふたりだけの生活は二度とない。毎日の日課だった庭の枯れ葉拾い 義父がいなくなったあとの庭を想像するだけでも辛い
今日、お義母さんはやっとお義父さんから開放された。長年連れ添った夫婦の最後は、皮肉にもこんな終わり方だった。最後はお互いに手を取り合って、いたわり合って、本当の最後は最愛の人に「ありがとう」と言って終わりたい、そんな最期を描いていた。でもそれは理想であり、きれいごとなんだろう。
今日、職場�@のFさんにこの話を聞いてもらった。60歳代のFさん自身も90歳代のお母さんを介護した末に、このままでは自分達夫婦が共倒れしてしまうと思ってお母さんを施設に預けられた。今は「お義父さんのことを可哀想だとか、そんなふうに思わんことやで」と言葉をかけて下さった。私達が感じている小さな罪深さを軽くして下さってのことだろう。
ポチッとお願いします
義母も週に一度の通院をする体なのだから、一番いたわらなくてはならない人なのに、義父は自分自身も妻も健康体だと思っている。つまりそれが父の病なのだ。だから母がてきぱきと立ち振る舞わないと癇癪をおこすらしい
義母はそれでも今まで頑張ってくれていた 自分さえ家にいて夫の世話ができれば、息子の家族にも迷惑がかからない・・その一心で頑張ってくれていた。それでもある時、本音をのぞかせたことがある。「病人が痴呆症の人を看病する・・こんな残酷なことはない。」「病気は放っておいたら死ねる。でも痴呆症は放っておいても死ねない、こんな罪な病気はない。」
そんな身につまされる言葉を聞きながらも、いつも気丈なお義母さんに甘えて、私達も兄一家も自分達の生活を続けさせてもらっていた。お義母さんには、「長い間ご苦労さまでした」と心から感謝している。自分の親を施設に入れる決心をするのも辛いことだが、自分の夫をそうする決心をしたお義母さんも辛かったと思う。
一昨日の朝の電話を境に、義母はとうとう心身ともに限界が来てしまった。だからと言って兄の家も我が家も今すぐに義父を引き取ることは不可能なのだ 住宅事情も厳しい、経済的にも厳しい 何より、嫁の私がすぐにパートを辞め、四六時中 認知症の義父と向き合うという生活を現実として受け止めることは、私の器の域を超えている。
義父は今日いつもと変わらず施設に向かったはずだ。1日過ごせば、また自宅に帰る・・そう思って出かけたに違いない こんなに長い滞在になるなんて、義父は知らされていない いつか、長年住み慣れた自宅に戻ることがあるのだろうか 少なくとも妻とふたりだけの生活は二度とない。毎日の日課だった庭の枯れ葉拾い 義父がいなくなったあとの庭を想像するだけでも辛い
今日、お義母さんはやっとお義父さんから開放された。長年連れ添った夫婦の最後は、皮肉にもこんな終わり方だった。最後はお互いに手を取り合って、いたわり合って、本当の最後は最愛の人に「ありがとう」と言って終わりたい、そんな最期を描いていた。でもそれは理想であり、きれいごとなんだろう。
今日、職場�@のFさんにこの話を聞いてもらった。60歳代のFさん自身も90歳代のお母さんを介護した末に、このままでは自分達夫婦が共倒れしてしまうと思ってお母さんを施設に預けられた。今は「お義父さんのことを可哀想だとか、そんなふうに思わんことやで」と言葉をかけて下さった。私達が感じている小さな罪深さを軽くして下さってのことだろう。
ポチッとお願いします
コメント
コメント一覧 (6)
言葉が見つかりません。
ほんとに辛いですね。
こんなに辛いときだったのに、今朝私お気楽なコメントいれてしまって本当にごめんなさい。
リターンするのも、もどかしかったでしょう。
私の義父も脳血栓で、長い間お義母さんは自宅で看病していたのですが、やはり症状が進むにつれ自宅で看ることが難しくなり、最後は施設/病院へ入所しました。
お義父さんもお義母さんも、ぶうちゃんもだんなさんも、本当に辛い状況ですね。
でも、ぶうちゃん、くれぐれもご自分を責めないでくださいね。
sono1019
がしました
>リターンするのも、もどかしかったでしょう。
ぶうちゃん、とんでもないよ{りんごちゃんNG}
つらい私も本当の私
仕事している私も本当の私
テレビ観て笑っているのも本当の私
ブログで癒されてるのも本当の私
どれも現実なのよね。
そう・・ぶうちゃんのお義父さんもお義母さんも、ご家族の皆さんもそんな想いをされたんだね。私も乗り越えないといけない山だと思って頑張る{ガッテン}
sono1019
がしました
実は暢気に{雪}ちゃんの修学旅行の話題で盛り上がろうと・・・
辛かったね。。
いや 今からも辛いだろうけど・・
大丈夫・・・ ?
なにか励ます言葉をと思ったのに ごめん 私が泣いてしまった
ゆうべは何にも書けなかったよ。。
でも辛くても悲しくても 現実は受け止めなければならないんだよね
お義父さんのいないお庭にも 春にはかわらず花が咲くだろうし、毎日の生活は続いていくのだから。。
「仕方のない」ことと いっそ割り切れて生きていければ 少しは気持ちが楽になれるんだろうけど・・
だけど そんな辛さや重さを抱えたまま みんな生きているんだろうね。
>つらい私も本当の私
>仕事をしている私も本当の私
>テレビ観て笑っているのも本当の私・・・
わたしもそうだよ。
そして それでいいんだと思う。
どんなに辛いことがあった日も、次の日、朝は普通どおりにやってくる。
こども達のこと、仕事、家事、 否応なしに毎日の生活がやってくる。
お義母さんのことも、お義父さんのことも、辛くても現実と受け止めて、その時の自分達に出来得ることをしてあげればいいんだと思う。
息子夫婦の平穏を望んでも 出来ない事への悔いで自分達を責めることを一番望んでいないのはお二人だと思うから。。
これから・・ 無理はしないでといっても、無理かもしれないけど・・
{ヤシの木}が倒れることのないよう 乗り越えていってほしいです。
sono1019
がしました
辛い選択だったでしょうが、お義父さんにも最良の選択だったのではないでしょうか。
お義母さん、頑張られたんですね。
いたわって差し上げて下さい。
sono1019
がしました
今はね、強がりでも何でもなく、ぴぃちも書いてた通り、もう現実として100パーセント受け止めているせいか、妙に冷静な自分に驚いた。ふしぎだね。
明日、夫はもう一度実家へ行くけれど、私は家のことをさせてもらって、これからに備えようと思う。いつか泣き言を書くかも知れないけど、受け止めてくれる人がいると思うと随分救われているんだよ。
sono1019
がしました
お互い、自分の体もいたわりつつ、出来ることをするのみですね。頑張りましょうね。
sono1019
がしました